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『木野評論』

(編集・発行:京都精華大学情報館 発売元:株式会社 青幻社)

 『木野評論』という僕がまだ読んだことのない雑誌から頼まれて書いた原稿です。写真特集をするから『写真時代』のことを書いてくれということでしたが、時間がなかったので『写真時代』の編集後記を流用してだいぶごまかしました。でも、書いていて『写真時代』を編集していた80年代の気分になっていたのは事実です。
(スエイ)


僕の『写真時代』の時代

 『「写真時代」はタイヘンな雑誌である。なぜタイヘンかは、今後欠かさず買っていただくと解ると思いますので、買ってください。正直言うと、「写真時代」なんてタイソーなタイトルを付けて困っていたのは事実です。企画が暗~いものばかりで悩んだりしたのも事実です。しかたがないからハワイに行きました。暗~い性格がちょっぴり明るくなりました。ですから、次号からは明るいものが多くなると思います。まだ雑誌の性格も定まっていませんが、今後ともよろしくお願いします。なお、創刊にあたり、いろいろ助言してくださった方々、特に写真の天才(と最近はシミジミ思います)荒木さんに感謝します。』

 これは、一九八一年七月二十一日発売の『写真時代』創刊号に、僕が書いた編集後記である。「タイヘンな雑誌である」というのはハッタリだが、これまでになかった雑誌だから、話題にはなると思っていた。だから、まったくのハッタリでもない。「タイソーなタイトルを付けて困っていた」というのは半分本当である。エロ雑誌だか芸術雑誌だか、冗談だか真面目だか、なんだかよく分からないグチャグチャの写真雑誌にしようと思っていたから、タイトルだけはキチンとしたものがいいということで『写真時代』としたのだが、あまりにも真面目なタイトルだったので少しだけ罪悪感があった。

 なんだかわけが分からないような雑誌は、「これを見たらみんなはどう思うだろう」なんて考えながら作っていると、作ってるほうは面白いけどだいたいは売れない。しかし、『写真時代』は十万部売らないと会社が倒産してしまうという現実を背負っていたから、十万部のうち九万五千部ぐらいをエロ写真に頼らないといけなかった。いまはエロ写真にそんな力はないけど、当時はまだ裏ビデオもインターネットもなかった時代である。

 読者の中には、「真面目な雑誌だと思って買ったけど、これエロ雑誌じゃないの?」と思う人もたぶんいるだろう。そして、もう一度表紙を見る。どこにもエロ雑誌のイメージはない。「これは詐欺じゃないかぁ!」、すみません。

 しかし、その逆もあるのである。中を見ると、エロ雑誌にも載ってないようなドキッとする写真が載っている。買いたい。でもレジに持って行くのが恥ずかしい。もう一度表紙を見る。どこにもエロ雑誌のイメージはない。タイトルも『写真時代』である。実に堂々としている。確かに、エロ写真であろうがロリコン写真であろうが、写真であることに変わりはない。これなら堂々とレジに持って行ける。いままで、エロ雑誌を買おうと何回チャレンジしたことか。でも買えなかった。あのイヤラシー表紙の本を、レジに持って行く勇気がなかった。でも、これなら買える。ありがとう、『写真時代』。

「暗~いものばかり」というのは、校正刷りを人に見せたとき、「暗いねぇ、こんな雑誌売れないんじゃない?」と言われて落ち込んだりしていたから書いたのだろう。売れなかったら会社は倒産だから、かなりのプレッシャーがあった。ちなみに、創刊号のラインナップは次の通りである。


表紙・三原順子 撮影・田宮史郎
PHOTO DIARY 末井昭
景色 荒木経惟
森山大道インタビュー「失われた時を求めて」長谷川明
光と影 森山大道
特集・少女の時間 清岡純子ほか
木暮徹が撮る南伸坊の小林旭と宍戸錠
ONE PHOTO STORY 風が吹いたら高校生が儲かり編集長が慌てる
世にも不思議な写真 心霊写真の謎 中岡俊哉
PHOTO COLUMN アイドル歌手のバイタリティにはロックもニューミュー
ジックもかなやしない・山崎邦彦、写真集総まくり「タレント写真集はどこまで実用的か?」
亀和田武、僕の愛機・私の名機、突然訪問写真・夕食篇
「今日のメニューにはなかったマグロの刺身が増えていた」、「家族」の発端
写真家の意地の通し方・山田利男、
ノーパン喫茶はいまはどーなっておるのか?・島本慶
イレギュラー・バウンド 美崎豊旭
平岡正明・福田文昭対談「やっぱり山口百恵は菩薩であった」
PHOTO ESSAY「アノ頃私の引越はコンな赤裸々状況で決まった」倉田精二
TARAKO CAMERA「愛とバイキン」渡辺和博
劇写・少女フレンド 初潮少女 荒木経惟
ゴザ1980夏 北島敬三
食欲バンザイ巨体写真館
ネガの残らないポラロイドなら彼女だって
思いっきり大胆なポーズをとってくれるはずだ 佐内順一郎
趣味の写真 南伸坊
プロマイドよ何処へゆく・マルベル堂の斉藤午之助さんインタビュー 矢田卓
荒木経惟の写真生活 愛(しゃしん)ひとすじ
うわさの人類とは誰でしょう 巻上公一
発掘写真・それでも芸術はある! 赤瀬川原平
元祖・併立写真 梅林敏彦
PEEPING PHOTO
からみ合う暗闇のアベックを見たときから赤外線写真にとりつかれた 吉行耕平
恋写コンテスト I LOVE SANDY 石田昌隆


 表紙は、いまにも泣き出しそうな表情の三原順子の写真で、これがかなり暗~い。意識して暗~くしたわけではないのだが、田宮さんが「タングステンで撮る」なんて言うから、そうなってしまった。余談だが、表紙の撮影は、真っ正面から大光量のストロボをパカッとたいて撮らないといけない。万人に笑顔を振りまく「影のない写真」でないといけないのだ。

 巻頭カラー頁は荒木さんの「景色」だ。『景色を写さなくてはいけないのに、どうしても風景になってしまう。その原因を考えたら、モノクロばかり撮っているからなのだった。それは、私が写真の天才でもあるからなのだけど。』ということで、荒木さんが撮影の合間や旅行のとき、コンパクト・カメラでパチパチ撮ったカラーの写真で構成したものだ。コンパクト・カメラはピントが甘いから、一頁大に引き伸ばすと、どの写真もピントが少しボケていて、それがなんとも素人っぽい。大きいカメラで撮った、もっとピントが合った、構図もしっかりした、ビシッとした写真が貰えるものと思っていたから、正直言ってガッカリした。「これじゃあ、せっかくの巻頭がヘナヘナになってしまう」と思った。

 しかし、荒木さんはいろいろ考えていたのだ。コンパクト・カメラがどんどん普及しだした時代だったこともある。荒木さんはそういうことに敏感な人だ。仮にビシッとした写真で巻頭を飾っても、ほかの雑誌と同じになって面白くない。それに、コンパクト・カメラは誰にでも撮れるというイメージがある。荒木さんの写真を見て、「これならオレにも撮れる」と読者に思わすことが重要なのだ(本当は荒木さんのようには撮れないのだが)。

 事実、荒木さんの写真を見て写真を始める人がその後どんどん出てくることになる。「写真」の普及にこれほど貢献している人は、ほかにはいないのではないだろうか。『写真時代』を出そうと思った最初の動機は、「荒木さんの雑誌が作れないか?」ということだった。それは、それまで荒木さんと仕事をしてきて、荒木さん自身がメディアのような人だと思っていたからだ。簡単に言うと、荒木さん自身がカメラなのである。女でも風景でも花でも、平等の視線で撮ることができる変わった、というか貴重な写真家なのだ。それはまさに、写真雑誌そのものなのだ。

 だから荒木さんには、連載を三本お願いしていた。「少女フレンド」は、僕が作っていた『映画少年』という雑誌からの続きで、幼い少女を荒木さんは「女」として見て撮っていた。これは、コンパクト・カメラは使わないで、アサヒペンタックス6×7でバシッと撮っていて、既存の写真の規範から見れば一番写真らしい写真であった。

 もう一つは「写真生活」。これは荒木さんの日記と、日付の入ったコンパクト・カメラで撮った写真の組み合わせで、そのころから普及し始めた日付入りカメラを使って、荒木さんは日付を過去にしたり未来にしたりしながら、時間からも自由になるのである。これはのちに『荒木経惟の偽日記』という写真集にまとめられ、文章は『東京日記』という分厚い本にまとめられることになる。

 森山大道さんは、そのころ逗子に引きこもり、あまり写真を撮っていなかった。長谷川明さんに写真家のインタビューをシリーズでやってもらうことにしていたのだが、「森山さんはいま何を考え、何をしているのだろう?」ということで、第一回めは森山さんになった。そのインタビューのとき、「写真もお願いします」ということで始まったのが「光と影」シリーズだった。

 森山さんはアレ・ブレ・ボケ写真で、僕が『写真時代』でやろうとしていた写真の概念を壊してしまうことをすでにやっていて、『写真よさようなら』という写真集まで出していた。だから、僕にとって森山さんは、羨ましい、カッコいい存在だった。「光と影」は、森山さんがもう一度写真に戻ることだった。見開きで芍薬の花、牛に止まるハエ、サングラスの男、鳩の四点の写真を貰ったのだが、それは単なる芍薬の花であっても、大きな意味があるように思った。あとで森山さんがどこかで、『写真時代』の誌上で「芍薬の花がきれいに咲いた」と書いているのを読んで、すごく嬉しかった。

「写真の概念を壊す」と書いたが、それまでの写真雑誌、カメラ雑誌に載る写真は、すべて写真論の文脈に入るものが選ばれていた(『写楽』だけは違っていたが)。その既成概念からはみ出たものでないと、雑誌として面白くならないように思っていた。と書くと嘘になるが、まぁ、壊すのが好きで、壊すことが面白かったのだろう。

 心霊写真や、ブロマイドや、のちに三分間写真やUFO写真を集めたりしたのも、「写真論に入らない写真を」という意識が強かったからだ。そのころプリクラがあったら、真っ先に取り上げていたと思う。

「風が吹いたら高校生が儲かり編集長が慌てる」は、河合奈保子のパンチラ写真である。河合奈保子が野外ステージで歌っていたとき、風でスカートがめくれた上がったところを誰かが撮って、一枚五百円で売買されていた。のちに甲子園のチアガールを真下から撮るカメラマンも出てきて、パンチラ写真、パンモロ写真の大ブームとなるのである(それはのちに『写真時代ジュニア』や『スーパー写真塾』で展開することになる)。

 福田文昭さんは、写真雑誌『FOCUS』のカメラマンで、山口百恵と三浦友和との逢い引きシーンを撮って話題になっていた。この写真がキッカケで、山口百恵は芸能界を引退することになる。

『FOCUS』は『写真時代』の創刊と同時期に創刊され、のちに二百万部も発行する雑誌になるのだが、写真論的には写真の概念を壊すというものではなく、僕の興味の対象はもっぱらスキャンダルにあった。

「食欲バンザイ巨体写真館」や「うわさの人類とは誰でしょう」は、フリークス写真である。トッド・ブラウニングの映画「フリークス」を観て、フリークスの写真に興味を持っていたから載せたのだが、それが「暗~い雑誌」と言われる要因にもなった。

 僕は企画書の作り方が上手かったので、営業の人がその企画書を取次に持って行って、『写真時代』創刊号は十四万部も取ってきた。この部数を聞いて、ちょっとビビッてしまった。頼みの綱のエロ写真は少なかったし、「暗いねぇ」と言われていたので、ものすごい返品が来るんじゃないかと思ったりしていたのだが、創刊号はほぼ完売だった。

『創刊号が発売されて一週間くらいたったころ、全国の読者諸君から、「写真時代が読みたくて気が狂いそうだけど、どこの本屋にもありません。どうか助けてください」という電話がジャンジャン入りうるさくて仕事にならない毎日でした。そこで、向ヶ丘遊園、新宿、池袋、新潟県小千谷市などの書店数軒を調査すると、どこの書店も全部売り切れでナンでしたら注文してくださいということだった。まさか、とおもってホッペタをつねってみたら、痛かった。正しい雑誌は、正しい状態で売れるというアタリマエのことなのだけど、正しさを見抜いた「写真時代」の読者諸君はえらい! そして、いろんな雑誌で「写真時代」をホメてくれた人はもっとエライ! つつしんで表彰したいと思います。それから、けなした人には、カミソリの刃とかゴキブリなどを送るぞ! うそではない! 今月からいろいろなコンテストなども募集しているので、自信のある人は応募しなさい。末井』(創刊二号の編集後記)

 なんで売れたのか自分でもよく分からなかったが、とにかく『写真時代』は隔月で出て行くことになったのだった。

『暑中お見舞い申し上げます。先日、荒木経惟氏の結婚11周年、及び「10年目のセンチメンタルな旅』(冬樹社)の出版パーティーが六本木で盛大に催されました。おなじみハンジョウ・オールスターズも出演しました。夏は、とにかく暑くてダレがちなのですが、荒木さんは元気です。今年の第3回アラーキズム宣言は、12月11日(土)朝日生命ホール(新宿)で行うことが決定しています。荒木さんと言えば、今年も昨年に続いて続々と本が出ています。白夜書房からの「恋人たち」に続いて、パルコ出版から「ARA・KISSラブコール」、噂の真相から「荒木経惟の真相」、新評社から「荒木経惟の世界」が発売中です。あとの2冊には、僕も文章を書いていますので、ぜひ買って読んでください。森山大道氏の「光と影」の連載は一応終りとします。次号から新しいシリーズをお願いする予定になっています。なお、冬樹社より森山大道写真集「光と影」が7月末に発売されます。乞うご期待! 北島敬三氏は、NYで元気な様子です。もう4ケ月近くになるから、ニューヨーカーになってしまったのでしょう。送ってもらった写真を見て、そんな感じがしました。秋には北島氏の写真集「NEW YORK」が白夜書房から出ます。ご期待ください。倉田精二氏の「GOKURAKU」は、倉田精二写真集「PHOTO CABARET」のキャンペーンなのですが、発売が予定より遅れて、9月末になります。木村恒久氏デザイン、そしてレイアウトは僕がやっておりますが、忙しいことも関係しましてなかなか進んでおりません。これも、ともかく乞うご期待です。えー、本誌もこの号で1周年になるわけですが、ご愛読くださいましてありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。創刊当初は、半分冗談みたいに写真雑誌を出してみようと考えていたのですが、やってるうちにだんだんマジになったりの1年でした。月刊にしようと考えたりもしましたが、種々の理由により隔月発行を続けます。 本誌の子供「写真時代ジュニア」の売れゆきが伸び悩んでいます。まだ買ってない人はすみやかに本屋に行くことを注意しときます。買った人は8月21日の2号発売日を期待しなさい。絶対面白いぞ! えー、いろいろ書いておりますが、僕の本が北宋社から出ます。でもまだ何も書いていないので、あくまでも予定なのですが、ぜひとも買う予定でいてください。 自分のことばかりでキョーシュクなのですが、8月7日・14日・21日・28日の夜10時から、六本木OMで僕が撮った荒木さんの映画の連続上映をしますので、夕涼みかたがたお立寄りください。それから、ハンジョウ・オールスターズのライブが8月31日、渋谷のLA MAMAであります。ミミセン持参でぜひ来てください。隣りで大日本印刷の国井さんが待っていますので、ではこの辺で、さようなら。末井』(創刊一周年、一九八二年九月号の編集後記)

 ものすごい長い編集後記を引用してしまったが、『写真時代』が売れて、それに伴い写真集やら増刊やらが次々と出て行く様子がよく分かる。創刊以来『写真時代』は森田富生君と二人だけで作っていたので、ものすごく忙しかったが、その合間に写真集や「アラーキズム宣言」などのイベントまでやっていたから、家に帰れない日が多かった。

 いま『写真時代』を見ると、ものすごくズサンな頁が多い。だいたい時間不足でそうなってしまうのだが、逆にそれがよかったのではないかと思ったりするのだ。時間に追いまくられていたから、中途半端なまま出してしまい、それはそれで面白かったりする。反省する暇もないから、元気がいいのだ。

『ご近所奥様ヌードの森村さんは、なんでも現在奥さんと離婚調停中とかで大変だと思います。原因はどうも奥さんのヌード写真にあるようです。突然奥さんから編集部に電話がかかってきて、「私の写真を載っけたら、警察と裁判所に訴えるから」と言うのでした。電話に出たモリタは、「メセン入れます」とか「あの、三百万円……」とか、ほとんど意味不明のことを言っていました。三百万円というのは、製版が終っているので、その費用を支払って欲しいというような意味だったらしいのですが、結局奥さんのいい写真はみんなボツになり、近所の奥さんの写真ばかりになってしまいました。写真の世界も、こういう世間のゴタゴタと無関係ではないのです。そのうち編集部にヤクザやサラ金業者や三角関係のモツレやいろんなモメゴトが押し寄せてくるのではないかと不安です。森村さんは「ホトボリがさめたらまた載っけてください」とおっしゃっていました。その「ホトボリ」という言葉に生活のリアリティを感じたのでした。「写真時代」も月刊になって、頭がコンランしてしまいます。でも、毎月がんばって編集しますので、これからも応援してください。来月7月21日発売の号で、「写真時代」は創刊3周年になります。7月10日には、福田文昭さんのカメラ塾で講義をします。9月にはぼくの「素敵なダイナマイトスキャンダル」が角川書店で文庫になります。では。末井』(一九八四年八月号の編集後記)

『写真時代』はこの年の七月号から月刊になって、一九八八年の四月号で廃刊になるまで続く。廃刊の理由は、猥褻図画販売容疑で警視庁が回収命令を出したからだ。要するに「発禁」である。

 発行部数は十四万部でスタートして、三十万部までに膨れ上がっていた。なんでそんなに売れるのか、最後まで結局分からなかったが、いろんな規制やら既成概念やらをぶち壊して行く爽快感だったのかもしれない。僕自身、その爽快感に浸ることができて、忙しかったが幸せな八十年代だったような気がする。ひょっとして、八十年代とはそういう時代だったのかもしれない。   

 でも、壊してしまったあとはどうなるのか。荒涼たる広野が広がっているだけなのか。それは、この『木野評論』の写真特集を読んで勉強しようと思っている。

 なお、『写真時代』については、飯沢耕太朗さんが「『写真時代』の時代!」という本を白水社から出していて、これを読めば『写真時代』のことがすべて分かるようになっている。ぜひ読んで欲しい。



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